ニコ動で、念願のRPG日和を見ました!ギャグマンガ日和なのに太子が格好良い!?
飛鳥編も良かったけど、細道編のストーリーとバトルが最高。
ギャグマンガ日和はギャグマンガとしてしか見てなかったのですが、松尾芭蕉に萌える日が来ようとは…
もともと芭蕉は好きですけどね。
「おくの細道」の「月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり…」は、徒然草(徒然なるままに日暮らし…)や方丈記(ゆく川の流れは絶えずして…)に勝るとも劣らない名文だと思う!
とはいえ、一番好きな俳人は誰かと問われたら、私の場合は小林一茶だったり。
俳句の叙情性から言えば、やはり芭蕉がいいんですけど…。蕪村もいいんですけど…。
この2人に比べると一茶はちょっと地味なんですけど……。
でも好きなんですよ。句そのものが、というよりも、背景ひっくるめた「小林一茶」が。
(以下、完全に一茶語りにシフトします。だらだら長いです…;;;)
飛鳥編も良かったけど、細道編のストーリーとバトルが最高。
ギャグマンガ日和はギャグマンガとしてしか見てなかったのですが、松尾芭蕉に萌える日が来ようとは…
もともと芭蕉は好きですけどね。
「おくの細道」の「月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり…」は、徒然草(徒然なるままに日暮らし…)や方丈記(ゆく川の流れは絶えずして…)に勝るとも劣らない名文だと思う!
とはいえ、一番好きな俳人は誰かと問われたら、私の場合は小林一茶だったり。
俳句の叙情性から言えば、やはり芭蕉がいいんですけど…。蕪村もいいんですけど…。
この2人に比べると一茶はちょっと地味なんですけど……。
でも好きなんですよ。句そのものが、というよりも、背景ひっくるめた「小林一茶」が。
(以下、完全に一茶語りにシフトします。だらだら長いです…;;;)
「やせがえる まけるな一茶 これにあり」などは小学生の頃から知ってましたが、どぼんとハマったきっかけは、なんとテレビ番組のお宝鑑定団(笑)。誰かが一茶にちなんだ物を持ってきたんでしょうね、鑑定タイムの前に一茶を紹介するVTRが流れました。
これで初めて彼の生涯を知ったんです。
……まさか、そんなとこで号泣するとは思わなんだ。
3歳で母親と死別し、継母との折り合いが悪いために祖母に育てられた一茶。祖母を亡くした後、まだ子供だったのに信濃北部から江戸へ奉公に出されました。奉公へ行っている間に継母の息子(義弟)が父親から家督を継ぎ、父が死ぬまでの間に故郷へ帰ったのは2度だけ。父親が死んだ後は義母との壮絶な相続バトルが勃発し、その争いはなんと12年も続きます。
長い長い相続争いが終わった時は既に50歳。そして、ようやく故郷に家を持つことができました。
落ち着いた頃に初めての結婚。かなり年の離れた若い妻を迎え、子供が生まれ、
……多分その頃が一茶の幸福絶頂期。その頃に詠んだ句は他の作品と違って喜びに溢れてて幸せそうで、だからこそ切なすぎる。
まず、初めての子が生後数週間で死亡。その後も3人の子供をもうけますが、全員が幼児のうちに死亡。4番目の子が死んだ数年後、妻が30代の若さで死亡。6人家族にもなれたのに、残ったのは一茶ただ一人でした。
絶望する彼を見かねた人がいたのでしょう、間もなく再婚しますが、この妻からは半年で離縁されます。
さらに追い討ちをかけるように、自宅が全焼。一茶はかろうじて焼け残った土蔵で生活し始めました。この時、既に老人。
その後、3回目の結婚(最初から最後まで土蔵暮らし)で、とうとう子供を授かります。一人娘で、この子が一茶の血筋を後世に残していますが、彼自身は生まれてくる子供をその目で見ることなく世を去りました。
生まれてくる子供を見たかっただろうな。抱きたかっただろうな。この人、最初の娘を溺愛してたんですよ。「這へ笑へ 二つになるぞ けさからは」と詠んで手を打って喜んでたんですよ。子供が女だと知ったら、ものすごく喜んだだろうに。
一茶が残した句があります。
目に入れても痛くないほど可愛がっていた娘が死んだ後に詠んだもの。
露の世は
露の世ながら
さりながら
訳を作るなら、こんな感じでしょうか。↓
世は無常。人生など陽が昇れば消えてしまう、一葉におかれた朝露のごとくに。
今は昔、栄華を極めた者が「露と落ち 露と消えにし 我が身かな」と詠んだように。
そういうものだ。世の中とは、そういうものだと分かっている。
分かっているけど、それにしたって。
……それにしたって……。
我が子に「這へ笑へ」と笑いかけてからそれほど時間が経ってないと考えると、苦しくて仕方ない。
なんかね。幸せになれよ、幸せになってくれよと、いくら願っても届かないんですよ。既に過去の人だから。
仕方ないから俳句を読んでみるんですよ。
そしてら、もう「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」という句を見ても泣けるんですよ。
だって、独りじゃないすか、これ。
独りでぽつんとしゃがみこんで、負けそうなちっちゃな蛙を応援してるんでしょ。
で、「一茶がここにいるぞ」って声をかけてるんでしょ。
「我と来て 遊べや親の ないすずめ」を見ても泣けるんですよ。
だってすずめって人になつかないじゃないすか。飛んでっちゃうじゃないすか。
”親のないすずめ”に自分の境遇を重ねても、すずめは差し伸べた手に乗ってくれることはない。
結局見てるだけなんじゃないの…?
この人はきっと、俳句がなければ寂しさに潰されていたと思う。
だから、一茶に俳句があって良かったなあと思うのです。
彼の句は身近で、叙情的な余韻という点では蕪村や芭蕉に及ばない気がするのですが、
小さな弱い者に目を向けてぽつんと佇む後ろ姿が浮かんできて、なんかもう、心臓がきゅっとする。
大好き…!
語りすぎてすみません。
「片雲の雲に誘われて漂泊の思いやまず…」と旅に出ちゃった芭蕉にも語りたいことはあったのですが、省略します(笑)。
とりあえず「おくの細道」再読中。芭蕉の文章は時々ものすごい風情がある…
それに比べて「曾良日記」の愛想のなさったら(笑)。完全に記録です。
PR
トラックバック
トラックバックURL: