既に消滅したHPから。このブログ内にもあると思うけど改めて。
シリーズ:幻想水滸伝ティアクライス
主人公:リードァ
・『受け継がれし遺志』を覚えた少し後の話
・星屑の城のネタバレあり
・ほんのり無自覚主マナ
「なあなあ、学者のおっさん」
「……ムバルです」
「ちょっと、書のことで聞きてえことがあるんだけどさ」
いつもの抗議をスルーして、リードァは馬乗りにしている椅子の背に顎を乗せた。
行儀の悪い格好だが、この団長にはそんな仕草が似合う。なにしろまだ十代の少年なのだ。
書のことという言葉を聞いて、書物の整理をしていたマナリルと壁に向かって調べ物らしきことをしていたルオ・タウも手を止めた。3人の注目を浴びたリードァは、「いや、たいしたことじゃねえんだけど」と前置きをして懐から書を取り出した。
「オレの持ってる星の印が、こないだ突然変わったんだ。多分この『輝ける遺志の書』だと思うんだけど。そういうことってあるのか?」
「え?」
ムバルが驚きの声をあげ、思わず手を差し伸べた。リードァから『輝ける遺志の書』を受け取り、中を開いてから首を傾げる。
「特に、変わったところはないように思えますが……」
「リウもそう言ったんだよな。星の印にも変化がねえって。けど」
「書による幻影に変化は生じたのか?」
ルオ・タウが横から言葉をはさむ。ムバルから書を受け取ると、表裏をひっくり返してから中身を確かめた。
リードァはなぜか眉間にしわを寄せる。
「変化っていうか……前に見た幻の続きがちらっと見えた。天魁星がほんとのほんとに最後だったんだな。……あんまり気持ちのいいもんじゃなかった」
「そうか」
つまり、最後に残った4人のうち3人も倒れてしまった後の幻影が見えたのだろう。
確かに気持ちのよいものではないに違いない。
ルオ・タウは短く相槌を打つと、再び書に視線を落とした。
リードァが椅子を揺らしながら、そんなルオ・タウを見上げる。
「なんか感じるか?」
「いや……これによって星の力が変わったとも思えないし、新たに特別な力も感じない」
「だよなあ……」
「具体的には、星の印がどんな風に変わったんですか?」
今度口をはさんだのはマナリルだ。
書を調べているルオ・タウを見つめてからリードァに視線を転じると、彼はうーんとまた困ったように唸った。
「星の印の名前は分かるんだ。『受け継がれし遺志』って。……結構、強い力だと思う。だからありがてえことはありがてえんだけどよ。……なんでオレだけ?って思って」
「他の人の星の印も強くなれば助かるな」
「ああ、それもあるけど。なんか気になるんだよなあ……」
「……私も、触ってみてよいでしょうか」
「もちろん」
リードァに促されたルオ・タウがマナリルに『輝ける遺志の書』を差し出す。
それに触れようとしたマナリルが、小さく息を飲んだ。
反射的に手を引こうとする仕草を見て、リードァが素早く反応する。
「マナリル! どうした!?」
「姫様!」
「何か変化があったのか」
「あ、いえ……すみません」
もう一度手を伸ばし、書を受け取った。ずしり、と重い手応え。
だがそれだけだ。新たな幻影も、星の印も……感じない。
「一瞬、何かを感じた気がしたんですが…。私にも変化はないみたいです」
「そ、そうか…」
リードァが明らかに落胆した表情になり、マナリルは慌てた。
「す、すみません。期待させるような素振りをしてしまって」
「いや、マナリルのせいじゃないだろ。気にすんな。…ってことは、やっぱオレだけかあ……」
「不思議ですね」
「んー。……この服とか、アトリからもらった剣とかの影響かもしれねえなあ」
「あの世界のものを身につけてるから、とか?」
「ああ。それにしてはタイミングがズレてるのが気になるけどな。ま、分からないなら考えてても仕方がねえ! ありがとな学者のおっさん、ルオ・タウ、マナリル!」
「ムバルです」
律儀に訂正されて、リードァはからからと笑った。このやり取りが好きらしい。毎回おっさん呼ばわりをしては訂正されている。
「ありがとな、ムバル」
わざわざ言い直すと椅子から立ちあがり、マナリルの手からひょいと『輝ける遺志の書』を取り上げた。
「あ…!」
「ん?」
「い、いえ。なんでもありません」
伸ばしかけた手を急いで引っ込めて微笑んでみせたが、リードァは自分の手の中を見て首を傾げた。
「気になるのか? さっきも少しだけ反応したよな」
「……一瞬だけでしたけど……でも……」
「でも?」
マナリルは少し逡巡した後で顔を上げた。
「リードァさん、もう少しだけ調べさせていただいても構いませんか?」
「読もうとすると力を使うだろ。無理はさせらんねえぞ」
「読みません、約束します。ただ、もう少し長く触れていたら何か分かるかも……って」
「そうか? じゃあオレの部屋に戻しといてくれ。勝手に入ってくれて構わねえから」
「いいのか。手元から離して」
口を挟んだルオ・タウに、リードァは頷きを返した。
「城の中にあることには変わりねえだろ。マナリルなら安心だし。……ルオ・タウにムバル、無理させないようにしてくれよ」
「分かりました」
*********
部屋の前には誰もおらず、室内にも人のいる気配はなかった。一応ノックをしてみて返事がないのを確かめてから、マナリルはそろりと団長の部屋へ滑り込んだ。
「構わねえ」とリードァは言ってくれたが、それでもやはり緊張する。借りているのが普通の本であればタイミングが合った時に渡すのだが、<書>であるならば暇を見つけて返せば良いというものでもない。
それでも。
マナリルは部屋の中央に立って辺りを見回し、途方に暮れた。
それでも……部屋にポンと置いていくのも無用心だ。団長の部屋の外にメイベルがジェイルがいるだろうと思っていたのだが、2人ともいないことは考えていなかった。誰もいない部屋に置いておくのは気が引ける。かと言って、部屋で待っているのもどうなのだろう。いささか図々しすぎやしないだろうか。
「あ、そうか」
思わず声が出る。部屋に戻しておいて、自分が部屋の外で見張りを買って出ればいいのだ。
思いついてみれば単純なことで、安心したマナリルはきょろきょろと辺りを見回した。
ベッド脇の棚に本が並んでいる。それなりに分厚い本が並んでいるのを見て読書好きなのかしらと考え、くすりと笑った。本を読むリードァ。正直、あまり想像できない。
そう思いながら興味本位で背表紙を目で追うと、さらにくすくすと笑いがこみ上げてきた。
交易の手引きが3冊もある。これなら、読んでいる姿を想像できる。交易好きのリードァらしい。
1冊分の隙間があるのに気がついて本を戻そうと手を伸ばしたが届かず、「すみません」と小さく呟いて、念のために服の埃を払うと靴を脱いでそうっとベッドに上った。
本を戻そうとしたマナリルは、そこでふと手元に視線を落とした。
借りてきた『輝ける遺志の書』。
あれからいろいろ試してみたが、結局何もわからなかった。あの時、一瞬だけ胸に襲いかかってきたのは叫びたくなるような哀切の情だった。本から伝わったものだと思っていたが、気のせいだったのだろうか。
哀切の奥に別の感情もあるように思ったのだが。
「……なんだったんだろう……」
本の背表紙を撫でながら独りごちる。
書を抱えたまま、ころんと横になってみると、ほかほかの布団からは太陽の匂いがした。
いや。太陽がよく似合う、あの人の。
「(……リードァさんの、匂い)」
横になったまま、もう一度書を眺める。
きゅっと抱き締めてみると、なぜか突然——抗いがたい眠気に襲われた。
*********
夢を見た。
見たことのない、小さな村だ。
白い土壁に木製の扉と屋根。白と茶色で出来た建物は一つひとつはそれほど大きくなく、それぞれが土ばかりの庭に囲まれていた。庭では鶏たちがエサをついばんでおり、牛や豚がいる家もある。
郊外には広場があって、さらにその外側に畑が広がっていた。転々と小さな赤い点が散らばっているのが見えるが、あれはきっとトマトの実だろう。
ふわふわと漂っていたマナリルの意識は、やがて広場へたどり着いた。
草に覆われた広場の端には林というほどでもない程度に木々が立ち並んでいる。穏やかな太陽の日差しもこの一画だけは遮られ、柔らかな日陰がいくつもできていた。
その中でも一番の大きな木陰に、一組の男女がいた。
幹によりかかるように座っている女性が胸に抱いているのは赤ん坊。低く歌を歌いながら抱いている子の背中をぽん、ぽんと優しく叩いている。
男性の方は、女性の膝に頭を乗せていた。顔は赤ん坊に隠れて見ることができない。
「おーい。尻が俺の顔に乗ってるぞー」
ふいに聞こえた男性の声に、マナリルの胸がどきんと鳴った。
「あなたが無理やり膝枕なんかするからでしょう。おむつはどう?」
女性の言葉に男性が鼻をスンスンと鳴らした。彼の顔の上に赤ん坊の尻が乗っているので、どうやら匂いをかいだらしい。
「うん、まだ替えなくて大丈夫。……坊主、父さんの顔の上でもらさなくてえらいぞ」
男性の言葉に、女性はころころと明るく笑った。
やがて、身体を起こした男性が赤ん坊を受け取る。
両手が自由になった女性は、こてんと頭を男性の肩に乗せた。
「いい天気ね」
「久しぶりにのんびりするな。こいつが生まれてからバタバタしてたし……」
2人は頬を寄せ合うように赤ん坊の顔を覗き込むと、「かわいいなあ…」と同時に呟き、同時に微笑んだ。
「こんな小さい手なのに爪があることにいまだに感動するよ」
「わかるわ。しかも伸びるんだもの。すごい」
「爪きりをするのが怖い。指まで切ってしまいそうだ」
「……ですって。父さんには爪きりを頼まないから安心しなさい」
「それも寂しいな!?」
女性がくすくすと笑う。
「いやだって、何でもしてやりたいじゃないか。そうだろ?」
「そうね。爪切りでさえも」
「…爪切りでさえも」
男性は決意のこもった瞳で頷いた。
「何でもしてやりたいし、何物からも守ってやりたい」
「うん。私もあなたたちを守ってあげる」
女性の言葉に、男性はがっくり頭を垂れた。
「そこは素直に守られてくれよ」
「イヤ。そんな性格じゃないのはわかってるでしょう? 剣の腕だって同じくらいじゃないの。2人で一緒に守りましょ」
「……そうだな」
男性が顔を上げる。
まともにこちらを向いた顔を見て、マナリルは息を飲んだ。
「俺は、この子とお前を守る」
「私は、この子とあなたを守る」
「愛する家族3人で、ずっとこうしていられるように」
妻と顔を見合わせ、そう言って優しく笑ったのは——あまりにも見覚えのある顔だった。
*********
別の場面にとんだ。
戦場だ。
土ぼこりが舞い、剣戟と怒号が飛び交っている。
互角に戦っているようだが——なんて、アンバランスな戦いだろう。
揃いの鎧に身を包んで一糸乱れぬ行進をしてくる大軍に対し、対峙している集団はあまりにも少人数だった。着ている鎧や防具もバラバラだし、扱っている武器も人によって全く違う。
それなのに互角に見えるのは、少人数の集団は一人ひとりが精強だからだ。皆——星の印を持っている。
これは、ひとつの道の協会と星を宿す者との戦いだ。
いつかどこかであった、マナリルの知らない戦い。
いや、どこか…ではない。これは、今はもう消えてしまったあの世界の出来事だ。
『輝ける遺志の書』の世界の、過去の光景を見ている。
星を宿す者たちの先頭に立っているのは、あの女性だった。
艷やかな髪を兜の下へ収め、大きな剣を軽々とふるっている。
一払い、彼女が薙ぐたびに、揃いの鎧を着た兵士が宙を飛んでいく。
マナリルには剣のことは分からなかったが、彼女の動きは荒々しくも美しかった。
「≪星の兵団≫の戦士たちよ、私に続け!! 未来は定まってなどいない。秩序に縛られた者たちを解放します!!」
「おおおおお!!」
彼女の声に、星を宿す者たちが呼応して叫び声を上げる。
だが、「行きます!! と叫んで剣を構えようとした彼女は——次の瞬間、なぜか棒立ちになった。
「あ……」
「団長っ!」
何人かが同時に叫び、彼女は慌てて剣を構えようとする。だが、一瞬だけ生じた完全な隙を、敵は見逃さなかった。
「う…ッ!」
「団長!!!」
「——!!」
槍で身体を貫かれた彼女に向けて、いくつもの悲鳴混じりの声が上がる。
星を宿す者たちは明らかに動揺していた。その機を逃すまいと、大軍がいっせいに勝ち鬨の声を上げて追撃のために動き出す。
その時——大軍の一画にいた兵士たちが吹き飛んだ。
そこから一人の兵士が飛び出してくる。真っ直ぐに女性のところまで駆けてくると、辺りをはばからない大声で彼女の名を叫びながらその身体を抱きかかえた。
ひとつの道の協会によく似た鎧——その下にあるのは、彼女の夫の顔。
「(どうして!?)」
マナリルが心の中で上げた叫び声を、協会の鎧を着た男性が繰り返した。
「どうして…何をしてるんだ。どうして!!」
「連れ戻しに来たの……。あなたを、そして、……あの子を」
「あの子はいなくなったんだ。死んだんだ。秩序の下で、そう決められていたんだ!」
「……死んでなんて……ない。いなく、なっただけ……」
2人をかばうように、その前にざっと3人が並んだ。
——彼らの顔も、マナリルは知っている。以前書の幻で見たことがある、別世界の”彼ら”だ。
「とりあえず目的は果たした。……退散するぞ」
「分かってる。殿は私が引き受けるから」
ジェイルによく似た男性とマリカによく似た女性剣士が口早に言い交わす。
それに対して、リウによく似た黒い服の魔道士が「…いや」と顔を歪めた。
「…あの傷では助からん。この場で最後まで会話させてやるんだ」
「ちょっと!?」
「時間を稼ぐ」
黒い服の魔道士が、ぐいと他の2人を押しのけるようにして一歩前へ出た。
ぎり、と歯を鳴らして目の前の大軍をものすごい形相で睨みつけた。
「……貴様ら、許さん。よくも……決して、決して許さんぞ…!」
魔道士が吼える。同時に十を越える雷撃が大軍に向かって迸った。
3人の背に、女性が小さく微笑む。
「……ごめんね。ありがとう」
戦場の喧騒にかき消されそうな、小さな小さなささやき声。
そして澄んだ瞳を、自分を抱えている男性に向けた。
――その光景を、マナリルはただ目を見開いて見つめていた。
どうしよう。
この人が、この女性が、死んでしまう。
先ほどの夢では赤ん坊を抱いて幸せそうにしていたのに、どうしてこんなことになっているのだろう。
夢を見ているだけの自分には何も干渉できないとわかっているが、もどかしさに胸が張り裂けそうだ。
「(どうしよう。何か、ないんでしょうか。何か、私に出来ること……!)」
「伝えて」
女性の声が凛と耳に響き、マナリルはハッとした。
薄い、グレーの瞳がこちらを向いている。一瞬だけその澄んだ瞳と目が合ったような気がしたが、彼女はすぐに男性へと視線を戻した。
「伝えて、あの子に。……大切な……大切な、私たちの子に」
「だから…!」
女性は首を振ろうとし、苦痛に顔を歪めた。
「……あの子が落ちたのは、トビラだった。だから……他の世界で……生きてる、の」
「何を言ってる!?」
「伝えて。…私はあなたを、愛していると。覚えてなくて…いい、恨んでても…いい。けど…私は、あなたを…、愛してる、と。……伝えて」
「……」
男性は何か反論しようと口を開きかけたが、妻の目を見つめると動きを止め、ぐっと飲み込むように頷いた。
「……わかった……」
「あなた……話を聞いて、ね。3人から……。私の、想いは……彼らが…知ってる……」
「わかった。わかったから喋るな! 手当てを…」
「愛してる。…あの子も、あなたも……」
「俺もだ! お前の想いは全て受け継ぐから、だから…!」
女性が微笑む。
微笑んだまま瞳を閉じて——…その光景が、霧がかかったかのように急速に白くなっていった。
男性の絶叫がその向こうから聞こえてきたが、それも遠ざかっていく。
真っ白に塗りつぶされていく世界で、女性の声が響いた。
愛している。
愛している。
愛しいあなた。
愛しい我が子。
どんな宝物よりも大切な、あなたたち。
どうか——
幸せでいてくれますように。
笑っていてくれますように。
笑っていてくれますように。
愛することと愛されることを知っていますように。
どうか、この想いが伝わりますように。
百万世界のどこかにいる、あの子へ————…
「(伝えます!)」
こちらの声が届かないことは分かっていたが、それでも叫ばずにはいられなかった。
声は、出そうと思っても出ない。
それでも真っ白な空間に向かって、マナリルは何度も叫んだ。
「(伝えます。きっと、伝えますから……!)」
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