昨日からの流れで、本がらみのSSを投下。
レン坊の一冊。
レン坊の一冊。
●坊の一冊 (坊=レン)
旅をする。
身体を動かしやすい質素で身軽な服。少し大きめのマント。
これだけは多少こだわる、歩き疲れることのない靴。
肩から背中には頑丈さだけを重視した革の荷袋をかけている。
弓矢は矢筒と一緒にその袋にくくりつけ、背中と荷袋の間に棍を斜めに差していた。
必要な物は最小限しか持ち歩かない。火種と水と、多少の金。それであとは何とかなった。
ある時から、その最小限の中に、一冊の本が加わった。
表裏を固い表紙に挟まれたその本はなかなか厚く、持ち歩くには正直重いしかさばる。
だが、その本を捨てたり誰かに譲ろうとは全く思いつきもしなかった。
質素な臙脂色の表紙には本の題名と筆者の名を表す金色の文字が控えめに彫られているのみ。
表紙を開いた1ページ目、内表紙にあたる紙には短い謝辞が印刷されていた。
『幼い私の愚かさを笑って許してくれた貴方へ捧ぐ』
謝辞の下には筆者肉筆のサイン。
その筆跡は流麗で、本を送った相手への真心がこめられていた。
――そこで終われば、美しいのだが。
肉筆で書き加えられていたのは、筆者のサインだけではない。
残念なことに、謝辞と筆者サインを除いた空白にこんなことが書いてあった。
『※この本の持ち主は女タラシ※』
『酒を飲むしか脳のない男が自慢の竿だか棒だかを振り回して手に入れたシロモノ。 だが残念、俺の竿の方が立派だザマーミロ!』
どう見ても落書きにしか見えない。
所々インクが滲んだ文字は明らかに著者とは異なる者の手によるものだったし、酒に酔って書かれたかのように乱れている。内容も、お世辞にも品性のあるものとは言えない。
しかも、トドメとばかりにページの隅にヘタクソな女性の裸体が殴り描きされていた。
もし古本屋の店主がこの本を見たら、大きく溜息をついてこう言うだろう。
『もったいないね。せっかくサインがあるけど、この落書きのせいで価値がなくなってしまってる。買い取れと言われてもせいぜい100ポッチが限界だ』
だが、この落書きに、もし記名があれば話は違っただろう。
貴重な資料文献として高い金を払ってでも手に入れたいという者がきっとどこかにいるはずで、かえって本の価値を高くすることだって考えられる。
落書きを残した者は、そのことを知っていた。
だから敢えて名前を入れることをせず、品のない言葉を汚い文字で書き殴ったのだ。
ヘタクソな絵まで添えて。
「……馬鹿な奴だな」
本を開くたび、レンは堪えられずに苦笑する。
この本は、落書きによって大きく価値を下げている。
売ろうとしてもせいぜい100ポッチにしかならない。
つまり、これはメッセージだ。
彼女の想いを受け止め、ずっと大切に持っていろ、という。
――誰が手放すものか。1億ポッチを積まれてもお断りだ。
それくらい、彼だって分かっているだろうに、つい書いてしまったのだろう。
彼なりの自己主張でもあるに違いない。
自分のことも忘れるな――と。
「馬鹿だな」
レンは同じ言葉を繰り返す。
「忘れたくても忘れられるか。お前みたいな、空前絶後の馬鹿――…」
言葉が途切れる。
そして、ひっそりと微笑んだ。
***************
レンが持っている、一冊の本。
マッシュの一生を記したものであるはずのそれには、さり気なく108人の名前が登場していた。
本を開くたびに、あの砦で過ごした日々がレンの目の前に現れる。
マッシュのことを後世に伝えるため、そして――レンに伝えるために書かれた本。
アップルのサインの下には、シーナの汚い字が躍っていた。
ページの隅では、間抜けな裸体がレンに向かって親指を立てる。
『楽しく生きろよ?』
そう言ってにやりと笑う友の顔が、見える気が、した。
自分の中で『生涯の一冊シリーズ』と名付けているもの。過去のキリルも同じ流れです。
4主、2主もいずれ。王子は不明。不定期で投下するかと。
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