村にはいつも、穏やかな風が吹いている。
村全体を見下ろすことのできる高台の上に立つご神木は、春になると空を染め上げんばかりの花をつけた。
そして薄紅色に染まった花びらが、風に乗って、まるで淡雪のように村人の頭の上から舞い降りてくる。
神に愛でられし、うつくしの村。
そのご神木の根元には村の救い主たる狼を象った石像があり、村人たちによって大切に祀られていた。
夏。
青々とした葉で重そうにしなった枝が無数に重なり、ご神木は地面に大きな黒い影を落とす。
梢の僅かな隙間よりこぼれ落ちた陽の光が、その影の中に光り輝く輪を散らす。
誰がさしかけたのか、石像の上にはフキの葉が日傘のように広げられていた。
祭囃子に蝉の声。軒先に吊るした風鈴がチリンと澄んだ音を立て、人々は団扇を煽いで涼を求める。
日が落ちれば水田の上を蛍が飛び交い、鳥居をくぐったその先に赤い提灯が掲げられる。
川面に揺らぐ月の影を、透き通るような笛の音が静かに静かに撫でていった。
秋。
木の葉は薄く色づき、風が枝を揺らすたびに名残惜しげに一枚、また一枚と散っていく。
地面は柔らかな布団を広げたように落ち葉に隠され、歩く人の足音を消した。
石像の上にも、はらり、はらりと舞い降りて、黄色い装束をまとわせる。
稲穂は黄金色に染まった頭を垂れ、そよぐ風に合わせてさわさわと揺れる。
村は毎朝きれいに掃き清められ、そして落ち葉をまとって日暮れを迎えた。
ケーン…と野山から動物の鳴き声が響くと、どこからともなく応えるようにルーイ…と笛の音が聞こえた。
冬。
湿り気を帯びた牡丹雪が、村を一面の白色に染め上げる。
夜明け前の空気はことさら澄みわたり、日の出はことさら眩しく、
太陽が昇りきると雪遊びに興じる子供の声と走り回る犬の声がのどかに響く。
だが、すべてはどこか静かで。神聖な静謐さがすっぽりとこの村を覆う。
ご神木はただ静かに佇み、そんな村のようすを見守っている。
石像も白い雪帽子をかぶり、静けさの中に埋没する。夜空に流れる笛の音も、ただ、雪の中へ。
時折、そっと雪を払う手が石像にぬくもりを与えていることを、村人は誰も知らない。
そして、ふたたびの春。
雪の下から顔を出した草の葉が可愛らしい青い花をつけるようになると、一気に地上が彩りを得る。
伴侶を求める鳥たちが高らかに愛の歌を歌い、花々は頭を揺らして生命の賛歌を謳う。
ご神木は全身を薄紅色に染め、大きく広げた枝から甘い香りと美しい花弁を村に向かって解き放つ。
人々は空を見上げ、地上を見下ろし、傍らに立つ人と微笑み合い、そして世の理に感謝する。
地上にあふれた喜びの声を祝福するかのように、明るい旋律が天を震わせる。
ご神木の下にある石像は、ただ静かに、その全てを見守るかのように鎮座し続けている。
四季と共に、人々の営みは繰り返される。
子供はやがて青年へ。
青年はやがて老人へ。
そして世代が受け継がれ、多くの季節がまた巡る。
いつ何時も、ご神木は見守るように村の高台にそびえ、
石像は佇み、
笛の音は流れる。
――――そして、その日が訪れる。
村に流れる笛の音が途絶える。
村人の誰しも、気づかなかったことだろう。
最後に響いたその音は、大いなる喜びを称えていたことに。
桜散る春の季節も、風薫る夏の季節も、恵みあふれる秋の季節も、澄み渡る冬の季節も。
幾つもの季節を超え、幾つもの年月を超え。
天から地へ降り立った彼は、遥かな時を、ただ一人で待っていた。
ただ、――唯一の存在を、待っていた。
いざ、闇を祓い、地を清め、共に天へと還らん。
海より深く、天より高く、地より広い、震えるほどの愛の歌に、
ご神木だけが花咲く枝を揺らしていた。
お笑いギャグ要員だと思うんですけど、切ないよねこの人…!
100年間ずっと十六夜の祠を守備する任についていたという話、
この辺りには笛の音が流れていたという噂話、
そして公式のトップアニメに胸を打ち抜かれました。
PR